悲しい出来事が多く、暗いムードのまま慌ただしく過ぎた印象の2011年。昨日で2011年のすべての仕事を終え、無事に仕事納めを迎えました。さて、私もいよいよ来年で30歳。友人たちは、家庭を築き、子どもを授かり、マンションを購入し、順調に昇進しているようで、周囲と比較すると正直焦りを感じられずにはいられませんが、自分のペースで歩みを進めていくつもりです。日々、高いモチベーションを保ち、高いパフォーマンスを発揮できるよう、体調管理とメンタルケアに留意し、来年も素敵な一年にしたいと思います。ブログ読者の皆様、2011年は「K's Bar」共々、本当にお世話になりました。ブログを通して、様々なお声を頂けたこと、たくさんの方々と交流させて頂けたこと、心より嬉しく思っております。皆様の新しい一年が幸多きものとなりますよう。どうぞよいお年をお迎え下さい。2011.12.31 こうずぃ〜
それは少し前のこと。2011年、夏、真っ盛りのある日。以前、担当していた生徒と話す機会があった。彼は第一志望の高校にボーダーぎりぎりで合格した生徒であった。未だに憶えている。願書の調印がされることなく、不安を抱えながら、彼と生徒の母と私の三人で、学校からの電話を待っていた、あの寒い夜の事を。授業が終わったのが22:00。それから、生徒と二人きりでいろんな話をした。不安を煽らないように、バカな話を繰り返す私の言葉を遮り、生徒は胸の内を明かしてくれた。「先生、僕は調印されなかったらどうなるんだろう。頑張って勉強したから受験だけはしたいよ・・・」それは思い詰めた悲しげな表情を纏っていた。そんな彼に、私は努めて明るく言った。「学校の先生が調印してくれなかったら、すぐにオレを呼べ。無理矢理でも調印させてやるからな。でも、オマエは大丈夫だ、絶対に。だって、オレの生徒だろ??無理なはずがない。まぁ、学校から電話が来るまでゆっくりしようぜ。」そんな風に。ある種の強がりであったし、私としても、その言葉は「賭け」のようなものだった。彼の願書調印が、真夜中の職員会議の対象になっているということは、志望校変更を余儀なくされる可能性があったわけだし、それは私の職務不履行、すなわち、一人の中学生の人生を大きく変えてしまうことであった。重く息苦しい時間が過ぎ、私は、この時禁煙していたタバコを口にしてしまったことを憶えている。夜遅くに、生徒とその親御さんには、「ちょっと電話してきます」と、言いながら、近くのコンビニへ行き、苦いだけのコーヒーとタバコを買ったのであった。そうでもしないと、私の平常心は保てないくらい、焦燥と仄暗い不安な気持ちで溢れていた。そのネガティブさを生徒には見せてはならないと、必死で取り繕ったはずの笑顔は、自分でもわかるくらいひきつり、淀んでいた。くゆらせた煙に、いささか落ち着いた心持ちとなった私は、愛用している手帳を広げ、また暗澹たる気持ちになった。翌日も、本業の仕事が朝からある上に、副業で担当している生徒は彼だけではなく、翌日から入試日までの授業日程は過密だった。そんな中、生徒の親御さんは、誰よりも不安だったであろうに、生徒と私のために、暖かいコーヒーと手作りのオニギリを出してくれた。その日、多忙を極め、ほとんどなにも口にしていなかった私は、そのおにぎりを頬張り、ようやく穏やかな気持ちを取り戻したのであった。それから数時間が過ぎた。結局、生徒は夜中2:00過ぎに学校から電話があり、中学校へ向かった。そして、無事、第一志望校への調印を受けた。一介の家庭教師の私が出る幕はなかったわけだ。もちろん、それでいい。その後、願書を提出できた彼は、滞りなく入試を受け、本人の努力が実り、見事志望校に合格した。中学を卒業し、桜が舞い散る頃、彼は高校へ入学した。合格祝いに買ってもらったという携帯電話から送られてきた、彼からのはじめてのメールは「合格通知」の画像のみが添付されたシンプルなメールであった。私は、それを今でも宝物のように大切に保存している。その後、彼が高校に入ってからも、学習が遅れないようにするために、試験前の数日だけは勉強を教えに行っていた。そうする中で、彼はいつの間にか、高校の中でも上位に入る優秀な生徒になっていた。でも、彼の夢は、中学時代からずっと「声優」になることだということを聞いていた。そして、そのために、高校には行くが、その後は大学に進学せず、専門学校に通い、声優になる勉強をしたいと、常々言っていた。正直、私自身も、大学生の22歳頃まで「ミュージシャン」になる夢を捨てていなかった、どうしようもない「夢追い人間」だったので、彼の夢の後押しをしていた。ただ、中学3年生の頃の彼を担当する際、最初の授業の前に、彼と一つだけ約束をしていたことがあった。その時、私は彼にこんなことを話した。「オレの役目はオマエの未来を広げることだ。とことんまで広げることだ。それだけは約束する。それは学校の先生や、塾の講師や、そこらのアマチュアの家庭教師じゃできないことだ。でも、オレは出来る。むしろ、それしか出来ない。それは、何より大切なことだ。オマエが、今、信じる、一番、素敵な人生を選んでくれ。自分で選んでくれ。志望校の選択なんかそれからでいいよ。」続けて、私は言った。「悪いけど、オレは受験に合格するための授業しかしない。オレの授業を受けることによって、一時的に定期テストで点数が取れないかもしれない。それで落ち込むこともあるだろうし、親や学校の先生からいろいろ言われるかもしれない。でも、半年後には、必ず、第一志望校に合格させてやる。それが出来なかったら、すべてオレの責任だ。初めて会ったばかりのオレを信じろっていうほうが無理かもしれないけど、どうかオレを信じてくれ。」彼は、じっと私の目を見据えて、耳を傾けてくれた。「高校受験の合格なんて最終地点じゃない。これから先、いろんな嫌なことや辛いことがあるだろう。でも、この受験を乗り越えられる強さがあれば、それらを乗り越えられる強さを持ったかっこいい奴になれる。そんなかっこいい奴を目指そう。なぁ、勉強は嫌だろ?だから、オレは最短経路での合格法を教える。辛かったら正直に話してくれ。勉強が嫌だ、今日はやりたくない、そんな気持ちは誰もにある。ただ、そう思ったら、オレだけにちゃんと話してくれ。絶対に、来年の春には笑って胸を張っていられる奴になろうな。そのために、オレも必死でオマエのために努力する。じゃあ、今から授業を始める。そうだ。一つ言い忘れてた。オレの授業は受験までの数ヶ月だけだ。もう受験まで半年もない。でも、志望校に合格させるのはもちろん、高校に入ってからは、家庭教師や塾が必要ない学習方法を身につけさせる。それがオレの授業だ。高校に入って楽をするために、後数ヶ月間、一緒に頑張ろう。」そう言って、授業を始めた。途中、生徒の成績が伸びずに、解答用紙を前に涙を流して親御さんに「私の力不足でした」と謝ったこともある。それは、過去のブログのエントリーに記されているが、未だに読み返しても胸が痛くなる。それでも、今、彼は無事第一志望校に合格し、高校生活を満喫している。部活や恋愛に明け暮れる高校生活が楽しくて仕方ないようだ。試験前だけのフォローアップ指導を続ける中、ある日突然、彼から思いもよらない言葉を聞かされた。「先生・・・。ごめん、僕、もう一人で勉強できるよ。」その言葉を聞いた時、私は涙を流しそうなくらい嬉しかった。そして必死で涙を堪えた。彼が中学3年生の頃に、はじめて会った時、「高校に入ったら、家庭教師も塾もいらないような学習方法を身につけさせてやる。」と言った私の言葉が、彼の言葉で形になった瞬間だったのだ。涙を堪えながら、「どうしてそう思うんだ?」と問う私に、彼は答えた。笑いながら。「だって、先生が、高校に入ったら一人で勉強できるようにしてやるって、約束してくれたやん。」私は、寂しさと喜びを入り混ぜた顔で、彼に言った。「じゃあ、ちゃんと高校卒業して、声優になれよ。オマエならできるって信じてるぞ。」と。すると、彼は答えた。真顔で。「実は、もう声優にはなりたいとは思ってないんよ・・・。今は、先生みたいな教師になりたい。だから教育学部行きたいんよ。大学のこととかあんまりわからんけど・・・。でも、本当は、宇宙に興味あるから、理系にいって大学で宇宙工学を勉強したい自分もおる・・・。」それから、私は、理系・文系の選択で人生の幅が変わることや、指定校推薦枠を手にする意義などを彼に伝えた。生徒と会話を重ねる中で、最終的に私が答えたのは、このような結論だった。泣きそうになりながら答えたのは、このような結論だった。「じゃあ、理系に進め。オマエの努力次第でNASAでもJAXAでもいける。頼むから、オレみたいな教師を目標にするな。教師や塾講師はとても素晴らしい職業だ。オレはそれに誇りを持って生きてる。でも、オマエが選んだ宇宙工学の道は、それ以上に、すげぇすばらしい道だ。なぜなら、オマエが必死で悩んで出した結論だからだ。だから、絶対に、それを叶えてくれ。それで将来・・・オレの生徒はNASAにいるんだぜ!って、オレに自慢させてくれ!」彼は、「先生、ありがとう。」と、涙を流した。15歳と言えど、賢いヤツだ。私の言いたかったことや大人の事情なんてモノも、なんとなくだがわかってくれていたのだろう。「一年前に出会った頃は、be動詞も一般動詞も知らなかったオマエが、今は、月や火星に行くつもりなのかー。それは、オレが教師をやっている以上に怖いことだな!」そう言って、二人で笑った。そんな二人の会話を親御さんは、奥の部屋で聞きながら涙を流していた。別れ際、「じゃあな、未来の宇宙飛行士!」とおどけてみせた私に、生徒の親御さんは封筒を渡そうとした。その封筒には、数万円のお金が入っていた。でも、私は、それだけは絶対に受け取れなかった。格好をつけたかったのではない。私には、それだけの仕事をした実感もなかったし、何よりも、生徒は実弟みたいな存在であって、弟の未来を決める後押しをしたことを、数万円の対価で決められたくなかったのだった。ただ、その代わりに、「前に作ってくれたオニギリを頂けますか!」と、笑って言った。親御さんは、涙を拭いながらおっしゃって下さった。「先生と出会えたことが、ウチの家庭の財産です。」そして、その数分後、ほかほかのオニギリを手にした私は、生徒と最後のお別れをした。「さよなら」とは言わなかった。「かっこいい大人になれよ。」と、だけ言った。生徒はいつになくかしこまった表情で、深く頭を下げて見送ってくれた。ふいに私が振り返った時、彼は、まだ頭を下げたままであった。そんな彼に、「じゃあな!絶対、宇宙に行けよ!」と、言い残し、帰路に着いた。自宅まで40分の道のり。私はとても塩からいオニギリを頬張りながら、彼がNASAで働いている姿を想像していた。そのオニギリは、ただ、ただ、私の暖かい幸せの涙で塩からくなってしまったのだった。そして、その塩からいオニギリが私の仕事の掛け替えのない対価だと知って、とても幸せな気持ちになりながら、オニギリを頬張ったのだった。私の数年後、数十年後はどうなっているだろう。女の子のいるお店のカウンターで、「オレの生徒は今、NASAで宇宙飛行士やってるんだよ。」と呑んだくれている中年になっているのかもしれない。それだって構わない。一人の中学生の人生の岐路に寄り添って、ほんの少しだけ背中を押したこと。そんな事実があって、それを彼はとても感謝してくれていて、その先に彼の素敵な未来があって。私の仕事とは、そういうことなのだ。幸せの種を蒔くんじゃない、幸せの種を配る仕事なのだ。蒔いて、育てるのは、生徒自身が決めることだ。私には種を配ることしかできない。でも、そこはかとないやりがいと意味を、この仕事に見出している。だから、これからも私は生徒に語りかけ続ける。「こんな幸せの種があるんだけど、どうだい?」ってね。
イノベーションが繰り返され、人類は時に急激なスピードで、時に緩慢なスピードで進化を遂げているにも関わらず、「犯罪」の形は、いつの時代も変わらない。犯罪とはそれだけ人間の欲望に直結しているということなのだろう。そんな古典的犯罪の一種が「空き巣」だ。学生時代に、僕は空き巣の被害に遭った。とは、言っても、僕自身の家ではない。当時、付き合っていた女の子の1DKマンションの一室だった。遠距離恋愛をしていた彼女の元へ、青春18切符を片手に、12時間を近くをかけて会いに行ったその日に、空き巣の被害に遭った。長距離の鈍行電車の移動で疲れ切っていたが、当時お金がなかった僕は、駅から彼女の家までの約30分の距離を徒歩で移動した。地図を片手に歩き出した頃、彼女から携帯電話に着信があった。電話の向こうの彼女は泣きじゃくっていた。なにがあったのかわからずに、鼓動が早くなった。「泥棒が・・・家に・・・帰ったら・・・割れてたの・・・窓ガラスが・・・」その言葉を聞いた瞬間、ためらうことなくタクシーを呼びとめ、乗り込んだ。彼女の住所もわからずに、マンション名もうろ覚えで、手にしているのは彼女が書いてくれた頼りない手書きの地図だけであった。それをじっと眺めたタクシードライバーは、首を捻りながらもアクセルを踏んだ。「おっちゃん、悪いけど、急いでや!はよ行かなあかんねん!!」と、関西弁でまくしてる金髪にピアスをした僕に、タクシードライバーはうろたえながら、「いや、でも、場所がわかりにくくてですね・・・せめて、マンションの名前だけでもわかれば・・・」と言った。僕は、彼女からのメールにマンション名が書かれていたことを思い出し、震える手でそのメールを探り当て、タクシードライバーに告げた。彼は、バックミラー越しに僕を盗み見て、動揺を隠しきれない表情を確認すると、「失礼ですが・・・何かありましたか・・・?」と聞いた。僕が、「大きい声を出してすいません・・・。彼女に会うために大阪から来たのですが・・・今、彼女の家に空き巣が入ったという電話がありまして・・・」と言うと、彼は、「あぁ・・・この辺りは多いのです。ここ最近、外国人労働者や暴力団が集まり、治安が悪くなっていまして・・・。」と、言いながら、強くアクセルを踏み込んでくれた。タクシーではあり得ないスピードで狭い路地裏を進み、目的地のマンションに到着した。僕は、千円札を三枚渡し、「お釣りは結構です。ありがとうございました。」と言ったが、彼は、「これからいろいろ大変でしょうし、それは受け取れません。それより、早く行きなさい。」と言い、僕に硬貨を渡し、手を握ってくれた。お礼を言い、タクシーを降り、マンションの階段を駆け上がると、彼女は開け放たれたドアの前に座り込んでいた。「遅くなってごめんな。もう大丈夫だ。」と、言い、部屋に入った。ベランダのガラスが飛び散り、その近くに掌ほどの大きさの石が転がっていた。「あぁ、こんなもので窓ガラスを壊したら、大きな音がするだろうに・・・。頭の悪い奴だな・・・。」と呟くと、妙に落ち着いた気分になって、犯人がいた証拠を消さないために、部屋の奥に入るのを止めた。やがて、警察官が到着した。サイレンを鳴らしながら何台ものパトカーが来るのかと思いきや、予想に反し、原付に乗った警察官が一人でマンションの前に来た。それでも、世間知らずの学生だった二人にとって、とても心強かった。警察官は部屋の惨状を見るとすぐに、無線を口元に当てた。そして、「すぐに鑑識が来ます。この周辺の警備も強化させましたので、ご心配は入りません。」と、言い、部屋の中を慎重に確認し始めた。少し落ち着いた彼女は実家に電話をし、その状況を伝えた。僕はその間、震える手で彼女の肩を抱き、もう片方の震える手で煙草に火を点けた。マイルドセブンの味に、少しだけ落ち着きを取り戻し、マンションの管理会社に電話しなければと思ったり、保険の適用はどうなるかと考えたりしていた。その後、到着した鑑識が部屋の至る所で指紋を取っているのをぼんやりと眺めていた。震える指先で煙草を持つ僕に、警察官は優しい声で話しかけてくれた。「ご主人、大変でしたね。奥さま、もう大丈夫ですよ・・・。」その言葉に僕と彼女は顔を見合わせ、その日、はじめて笑った。「まだ、二人とも二十歳の学生なんです。僕は今日、大阪からこちらへ来たばかりです。」と、答えると、警察官は、決まり悪そうな顔をして、手帳を取り出した。それから、部屋の中に入ることが許された。部屋のものには一切触れないこと、ガラスが至る所に飛び散っているので土足で入るようにという、条件付きではあったが。部屋の中は惨状であった。割れたガラス、ベッドと床に飛び散ったガラスの破片、ひっくり返されたラック、開け放しにされぐちゃぐちゃになったクローゼット、指紋を取るために白い粉で汚されたお気に入りだったfrancfrancの家具・・・。二人とも、「あぁ・・・」とため息をこぼしただけで、何も言わずに、部屋の細部をチェックして回った。幸いなことに、銀行の通帳も印鑑もあった。盗られたものはノートパソコンと買ったままの下着だけであった。そして、警察官は盗まれたものをメモすると、恐ろしい言葉を告げたのだった。「普通、我々の管轄内の空き巣事件は、外国人労働者によるものが多く、犯人は衣類や家電製品などの生活必需品を盗って行くことが多いのですが・・・。被害が個人情報の詰まったパソコンと下着のみですし、侵入しやすい隣の部屋には入らなかったですし・・・あの・・・失礼ですが、異性とのお付き合いでのトラブルや・・・ストーカーに心当たりはありませんか?」と。実は、彼女には、心当たりがあった。それを告げると、警察官は、無線を取り出し、マンション周辺のパトロールを更に強化させるよう取り計らってくれた上に、窓ガラスも割れっぱなしであったため、マンションの前に警察官を一晩待機させるようにしてくれた。警察官が帰った後、ガラスの破片が飛び散った部屋で彼女は泣いた。キッチンの前の床には、彼女が下ごしらえしてくれていた夕食が割れた器と共に落とされていて、「今朝つくったの、チキンサラダ・・・。でも、こんなになっちゃった・・・。」と泣いた。僕は彼女の肩を抱きながら、お酒を飲まない彼女が僕のために買ってくれていたビールを取り出して飲んだ。ぽつりぽつりした言葉が断片的に続きながら数時間が過ぎ、実家から駆けつけた彼女の両親の車に乗り、彼女はひとまず実家へと帰っていった。空き巣が入ったばかりのガラスの破片だらけの部屋で眠るわけにもいかず、泊まるところを失った僕は、近くに見つけた24時間営業のファミリーレストランで、ビールとハイボールを飲んで、文庫本を読みながら朝まで過ごした。空き巣とは悲しい犯罪だ。自分が仕事や学校などの日常生活に奔走している間に、そっと家に侵入しては、なにも言わずに出ていく。そして、短い時間の間に、財産と安息の地を奪っていく。道端に落ちていた石で窓を破壊し、人の幸せと安息を盗む。シンプルで短絡的な犯罪だ。結局、空き巣かストーカーかもわからぬ犯罪者に安息を奪われた彼女の生活は、不安に苛まれたものとなり、僕は大学の講義とアルバイトを一週間程休み、彼女のマンションで共に過ごし、警察への事情聴取や、管理会社の現場確認や、保険の手続きや、ガラスの交換などの、様々な突如舞い降りてきた、煩わしく悲しい作業に何度も立ち会った。その犯人はとうとう捕まらないまま、数年が過ぎ、僕は彼女と別れ、それからまた数年が過ぎ、いつの間にか9年もの歳月が経ってしまった。犯罪で幸せになる人間などいない。犯人も仄暗い気持ちを抱えて生きていくのだから、自分で自分の不幸を増やしただけだ。人間の欲望は深い。そんな欲望だらけの社会の中で、上手く生きるのは難しい。ノートパソコンが盗まれたことがわかり、彼女が呟いた言葉を、今でも僕ははっきりと覚えている。「メールも写真も全部なくなっちゃった・・・。」金で買えるものを盗むことより、金で買えないものを盗むことのほうが、その罪は重くてもいい。二人でビールを飲みながら食べるはずだったチキンサラダは、悲しい料理へと変わり、その事件以後、彼女は一切作らなくなったし、外食する際にも避けた。もしかすると、今も、彼女はチキンサラダが食べられないでいるのかもしれない。どのような犯罪であれ、被害者はその傷をあらゆる形で引きずり続ける。それは、加害者が想像もつかないようなところで、想像もつかないような傷つけ方なのだ。犯罪がなくなりますように、なんて叶いもしない願い事をかけるつもりは毛頭ない。ただ、この些細な願いだけは叶うといい。「どうか、彼女が、笑ってチキンサラダを食べていられますように。」
放課後時のフェンス越し隠れるようにグラウンドを見詰める女の子その横顔は恋の色に染まっている
僕は大人になってそこに自分を重ねることができなくなってしまったそれが悲しくて 少しだけネクタイを緩めた
栗色の髪の その子の友達は退屈そうにアイスを舐めてる薬指まで垂れたバニラアイスのように僕の憂鬱な現実も 初夏の風に溶けてしまえばいいのに人生がこんなに辛いなんて先生は教えてくれなかった上手く生き抜く術なんて教科書には書いてなかった
もし あのグラウンドに僕が戻れたとしても喝采を浴びるようなシュートなんて打てやしないからくたびれた靴で アスファルトを蹴った渇いた音が胸に響いて諦めてきたいろんな事は ため息に変わった
もう奇跡のゴールを望みはしないけど信号が青に変わったら 一歩だけ踏み出してみるつもり試合終了を告げる笛は まだ鳴らないから
Mr.childrenという偉大なるバンドのライブを目の当たりにした僕は、それからの数週間、ひどい無気力感と絶望感に苛まれた。希望をもらってきたはずのライブであったが、彼らの持つパワーは強大すぎて、僕はただただ圧倒されたのだった。僕は、そのライブの数日後にTwitterでこんなツイートを残している。『ミスチルのライブ以来、身体中にぽっかりと穴が開いたみたい。あんな圧倒的な強さや希望を、形にして見せつけられてしまうと、僕のような凡人は茫然と立ち尽くすしかないわけで。あれほど影響力のある人間がいるという事実を自分の中で上手く昇華出来ずにいるのですね。カルト宗教に入信する人の気持ちが僅かながらわかってしまったような気がします。ある種の才能や影響力を高めた人間は、その極大な力で人の心を左右することが可能みたいで。それが正義として使われるか私利私欲のために使われるかは別として、人間の影響力とは計り知れない程深く、尊い。』僕の人生に於けるミッション・ステイトメントのひとつに、「人に影響力のある人間になる」ということがあったのだが・・・それが、すごく陳腐なことであり、また、どうあがいても届かないようなことに思わされて、ただただ、打ちひしがれていたのだった。ビートルズのジョン・レノン氏も、その才能がファンに与える影響力が強過ぎるという理由から、FBIにマークされていたという話をどこかで読んだ。もちろん、それは都市伝説的なエピソードであろうが、Mr.childrenというバンドのライブを観て、それもあながち冗談ではない話かもしれないと思わされてしまった。それくらい、それくらい、僕には衝撃だったのだ。このブログのライブレポートの「前書き」編にも綴ったが、僕は、彼らのライブを通し、圧倒的な才能は世界に溢れるsomethingを変える力を持つことを知った。そして、自分と彼らの差異に葛藤を続けた。その葛藤は今も尚、続いていて、恐らく生涯僕の心を支配し続けるのだろう。ただ、そのような圧倒的影響力のある人間のパワーを知ることが、得ることが出来たことは、僕の人生にとってプラスとなるだろう。恥を忍んで言えば、心の奥底で、僕は、彼らに負けたくないと思っている。それは音楽と言うフィールドではなく、人間力というモノサシのないフィールドでの話だ。そのために、僕は仕事を通じ社会を変える。そのために、僕は生きる。生を投げ出す事は、もう決してしない。大阪の安いビジネスホテルで、缶ビールを飲みながら、そう誓ったのであった。〜最後に〜数ヶ月を経て、ブログという形で、ライブレポートという形で、Mr.childrenというバンドの偉大さ、その楽曲の素晴らしさ、それと共に、私自身の思いと感動を文章としてアウトプットできた喜びを噛み締めております。当ブログを読んで下さったすべての方に感謝しております。悲しき時世が続きますが、希望を損ねることなく歩んでいけたらと思います。どうか皆様のこれからが幸多き人生でありますよう。最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。(2011.9.11 Koji)「前書き」はこちらをご覧ください→ http://ks-bar.jugem.jp/?eid=398「第1話」はこちらをご覧ください→ http://ks-bar.jugem.jp/?eid=403「第2話」はこちらをご覧ください→ http://ks-bar.jugem.jp/?eid=407「第3話」はこちらをご覧ください→ http://ks-bar.jugem.jp/?eid=409「第4話」はこちらをご覧ください→ http://ks-bar.jugem.jp/?eid=411「第5話」はこちらをご覧ください→ http://ks-bar.jugem.jp/?eid=414
16) ロックンロールは生きている柔らかなラブソングから一転。デジタル音を駆使した頭打ちのビートとアコースティックギターの生音が絶妙なバランスで絡み合う。メッセージ色の強いリリックも韻を踏みながらリズミカルに聴かせる桜井氏のソングライティングセンスに改めて驚かされる。温かみのあるサウンドだけではない、エッジの効いたサウンドは、「SENSE」というアルバムで更なる進化を遂げた証のように思われる。17) フェイクサンプリングされたサウンドから繋がっていく曲は、「フェイク」イントロのフレーズの田原氏と中川氏の絡みが最高にクール。シンプルなベースのフレーズなのに楽曲に見事なまでの躍動感を与えている。それに煽られるかのように田原氏はステージ前方へ歩み出し、右足で大きくリズムをとりながらギターをかき鳴らす。18) ポケットカスタネットここで、まさかの同曲。会場がわずかなどよめきに包まれた。ピアノの柔らかな音で歌い出し、最後にはデジタルサウンドで壮大に曲調が変化する様は、小林氏のアレンジ力の賜物であろうか。薄暗く、メンバーのシルエットしか浮かばないステージを、展開と共にブルーライトが縦横無尽に舞い、とても幻想的。詞世界にベストマッチした演出に息をのんで見惚れていた。19) 擬態そして、ここで待ちわびていた「SENSE」の名曲が披露される。興奮と熱気で激しく揺れる会場。それに負けじとヒートアップする演奏。しかしながら、リズムも全くよれることなく、桜井氏の美声も枯れることなく、5人での絶妙なアンサンブルを聴かせてくれる。すごい。これがプロフェッショナルなんだ。未曾有の大震災の影響によるライブ延期や会場の変更、そんなネガティブな様々な事象を乗り越えて、彼らが悶々と温め続けてきた想いの深さが、最高のパフォーマンスに変わり、それが京セラドームを震わせているのだった。20) Preludeイントロが演奏された瞬間、会場の叫びは何倍も大きくなった。エイトビートを刻み続ける田原氏のギターが徐々にフェードインしていく様は、高ぶる感情を表しているかの様。曲中の、『さぁ 耳をすましてごらん』というフレーズの後で、まさかのブレイク。一瞬トラブルかと思わされるかの様な途切れ方に、会場はどよめき、その後、静寂が訪れた。そして、ライドシンバルのはじけるような音と共に、突如、曲が再開され、桜井氏はシャウトを続けながらステージ下手へと走り出す。まるで、「まだまだライブは終わらない。これがプレリュードだ。」と言わんばかりの様子で。曲は終わり、照明が落とされ、ステージから去ってゆくメンバーたち。その直後、アンコールを求める手拍子が会場を包んだ。座席に座る人は少なく、皆、立ったまま彼らの姿を待ち侘びている。その叫びはだんだんと大きくなり、会場中があらん限りの声で、彼らの名前を呼び続けた。僕も、また同じ。そして、ふっとステージの照明が灯り、会場は歓声で包まれたのだった。観客が静まるのを待って、桜井氏のMCが始まる。「アンコールの声を聞いていました。男の人の声がすごく多くて嬉しくなりました。小さなライブハウスで演奏していた頃は、女の子ばっかりだったんですけど・・・これがアーティストのあるべき姿なのかな、と思っています。あ、女性の方も、今後ともどうぞ宜しくお願いします。(深々と頭を下げ、笑いを誘う桜井氏)それでは、皆さんのもっと近くへ行きたいと思います。いつも自分が通っている道を、横断歩道を思い浮かべて下さい。そのイメージの中に僕たちが入って行きたいと思います。それでは・・・その横断歩道で会いましょう。」Encore 1) 横断歩道を渡る人たちSplit The Differenceのアレンジで聴かせる同曲。淡い音を奏でるブルースパープが哀愁を誘い、通勤途中に通る横断歩道で信号待ちをしている自分にリリックが重なる。CD音源のアレンジとは異なり、様々に展開していくアレンジは壮大で、リリックの一言一句に新たな重みを与えていた。個人的には、ブレイクが連続するアレンジが最高にクールであった。その後に熱を帯びていくサウンドは劇的な繋がりを見せ、 中でも、中川氏のメロディアスなベースラインがとりわけ冴えて聴こえたのであった。『僕だって何もかもを 物わかりよく 年老いたくはないんだ』と、シャウトする桜井氏の声に、自分に姿を重ね、僕はそっと涙したのだった。Encore 2) fanfareヒートアップし切った会場を更に煽るかのように田原氏のリフが入る。鈴木氏のドラムは最高潮の盛り上がりを見せ、髪を振り乱しながら激しいタム回しとシンバルの連打で楽曲に華を添える。シャウト続きでも桜井氏の声は枯れることなく、高音の伸びが美しく、またしてもプロフェッショナルである様をまざまざと見せつけられる。Encore 3) foreverやはり、この曲ははずせない。エンディングを飾るのに相応しい曲。皆、それぞれに思いを噛みしめながら、じっと聴き入っていた。そして、涙を流していた。Encore 4) かぞえうた最初のショートフィルムでルービックキューブを操っていた少年の仮面が崩れ落ち、「Mr.children TOUR 2011 "SENSE" 」とスクリーンに映し出され、照明が明るくなる。そして、そこに佇むのは5人の姿。桜井氏のMCに聞き入る観客。「3月11日に震災が起きて・・・皆でこれからどうしようかとミーティングをしました。その時に鈴木君から、新曲を作ろう、と提案があって・・・僕たちはプロだから、曲を作る時にも、どこかで感動させてやろうみたいな下心が正直あって。だから、本当は、乗り気じゃなかったんですが、ふと「かぞえうた」というフレーズが浮かんで、暗闇の中でも、人は希望の数を数えられるんじゃないか。人にはそんな力があるんじゃないか。そんな想いから生まれた曲を、最後にお届けします。」配信限定シングルの同曲は、CD音源もライブ演奏も全く同じで、とてもシンプルな構成であった。リリックもメロディもすべてがシンプル。桜井氏がMCで語った「下心」という側面は一切排除されており、それだけに、CDだけ聴けば物足りない印象を受けるかもしれない。でも、これが、彼らの「生の音・私服の音」であることがわかり、同曲に込められた思いの深さを知った。アーティストとして、プロフェッショナルとして、そのような楽曲を届けるには多大なる勇気が必要だったであろう。でも、彼らは、それを伝えなければならない想いとして届けた。それは、この戦後最大の自然災害を前に立ちすくむ人々への、一筋の希望であった。そんな希望を、最後のワンフレーズまで、余すことなく与え、彼らのライブは終わった。彼らがステージから去り、会場が明るくなる頃、呆けたように僕は立ちつくし涙を流していた。圧倒的な才能を魅せつけ、圧倒的な希望を与え、彼らは去った。今、こうして振り返る時、あの夢は本当に幻であったのはないかという気持ちにさえなる。しかし、「SENSE」というアルバムを聴く度に、彼らの楽曲に触れる度に、その希望は僕の心の真ん中で今も尚、凛として存在することを思い知らされ、強さに変わるのだった。Mr.childrenと小林武史氏への多大なる感謝を込めて、拙きライブレポートの結びとする。「前書き」はこちらをご覧ください→ http://ks-bar.jugem.jp/?eid=398「第1話」はこちらをご覧ください→ http://ks-bar.jugem.jp/?eid=403「第2話」はこちらをご覧ください→ http://ks-bar.jugem.jp/?eid=407「第3話」はこちらをご覧ください→ http://ks-bar.jugem.jp/?eid=409「第4話」はこちらをご覧ください→ http://ks-bar.jugem.jp/?eid=411
13) Iそして、ここで、アルバム「SENSE」のオープニング曲。ザクザクしたアコギのカッティングが映える。CDで聴くそれとは、楽曲全体を包み込むテンションが全く違う。ものすごく情感溢れるアレンジだ。CDで聴かせてくれる気だるい雰囲気を払拭するかの様なメッセージ色の強い歌い方とアレンジ。桜井氏特有のしゃくりあげる歌い方、シャウト気味の歌い方(個人的にはエルヴィス・コステロ的だと思っている)で、サビを一気に歌いあげる。派手なブレス音も、その感情の丈を表しているかのようだ。『自分が一番かわいい? ほら当たってるでしょう?でもそれを責めたり誰ができるの?』で締めくくられる同曲は、彼ら自身の葛藤というより、2010年代に生きる現代人の葛藤を表現しているかのよう。14) ロザリータ続くはアルバム「SENSE」の名曲、ロザリータ。歌謡曲的な物悲しいサウンドで創り上げられた曲も、彼らの手にかかれば、どこかモダンでリアルな印象を受ける。高音をわざとファルセットにしたかと思えば、桜井氏の出るであろう低音ギリギリの音域でラストフレーズを歌う。そんな表現力に脱帽。どこか意図されているのに、その駆使されたテクニックは、恐ろしいまでのパワーを持って楽曲の意味を最大限のふり幅で伝える。15) 365日Mr.childrenのライブに足を運び、この曲の演出を観たことがある方には言わずもがなだが、今回もその演出を魅せてくれた。次々とスクリーンに映し出されるセンテンス。『世界の人口は約67億人、日本の人口は約1億2,000万人。世界で餓死する人数は、1日約2万4,000人。(中略)世界における愛の数世界の中で愛し合う人々の数人々が一年間で愛し合える日数・・・365日』その映像にイントロのピアノのフレーズが重なる。数値化された悲しきデータの数々。それでも、人間は愛することしかできない。日常でささやかな愛情を見つけて、それを大事に生きていかなければならない。『365日の言葉を持たぬラブレター ただ君を書き連ねる』そのフレーズに、僕は大切な恋人の姿を重ねていたのだった。(続く)「前書き」はこちらをご覧ください→ http://ks-bar.jugem.jp/?eid=398「第1話」はこちらをご覧ください→ http://ks-bar.jugem.jp/?eid=403「第2話」はこちらをご覧ください→ http://ks-bar.jugem.jp/?eid=407「第3話」はこちらをご覧ください→ http://ks-bar.jugem.jp/?eid=409
6) HANABIすごく個人的なことだけれど、僕の生を救ってくれた歌がこの曲だった。イントロのアルペジオが流れ始めた瞬間、歓声を上げようとした僕の声は嗚咽に変わった。感情が抑えきれずに号泣した。歌詞のひとつひとつが胸に刺さる。それなのにピアノの音とギターのフレーズは、どこまでも優しく温かい。そんな温もりに打ちひしがれながら、思わず、「ありがとう」と声をこぼした。その声はもちろんステージにいる彼らに届くはずもなく、歓声にかき消されたが、僕はその瞬間のために、このライブを観に京セラドームにきたのだと思った。僕の頬を伝う涙は、とても温かかった。7) くるみ続いて、またしても僕を救ってくれた名曲。桜井氏は抱きかかえるようにしてマイクスタンドを握り、ブルースハープを奏でる。そして、心の奥底から絞り出すかのような声で、歌う。『良かったことだけ思い出して やけに年老いた気持ちになるとはいえ暮らしの中で 今動き出そうとしている 歯車のひとつにならなくてはなぁ』年をとるごとに、なにかを捨てながら生きなければならないけれど、捨てる度に新しいものを手にしなければならないのだ。8) 花 -Memento-Mori-僕の涙が、ふと途切れ、はっとした気持ちになった。この歌を、今回のSENSE TOURで選んだのはどうしてだろうと。そして、最後のサビでラララ〜の大合唱で埋め尽くされるドームを見渡し、彼らの思いに気付いてしまった。『負けないように 枯れないように笑って咲く花になろう』シンプルなフレーズだけれども、混沌渦巻く現代には、どうしても伝えなければならないフレーズであったのではなかろうか。死に直面した時世、失うものだらけの儚さを思い知らされる時世。そんな時世に、「多少リスクを背負っても愛を手にしたい」とシャウトする桜井氏は、「こんな時代だからこそ、希望や愛情といった、いわば陳腐とされるようなものを見失ってはならない。」と、僕たちに語りかけているかのようで、思わず立ちつくしてしまったのであった。9) es 〜Theme oe es〜「花 -Memento-Mori-」からの流れでのこの曲に、彼らの思いを今一度認識した。うろ覚えだが、この曲は阪神大震災のニュースを見て、桜井氏が一気に書き上げた、というエピソードをどこかで読んだ。東日本大震災という未曽有の自然災害の前に、立ち尽くすことしかのできない僕に、答えを与えてくれたパフォーマンスであった。『栄冠も成功も地位も名誉も たいしてさ 意味ないじゃん』そのリリックは少しのアイロニーを帯びている。誰しもが欲しがるであろう成功や名誉といった類のモノなど本質的には意味をなさない。しかし、それを欲しがるのが人間だ。そんなエゴを揶揄しながらも、『何が起こっても変じゃない時代』だからこそ、幸せや喜びや愛といった類を守らなければならない、と彼は歌う。10) Dive11) シーラカンス 〜 12)深海メッセージ色の強い楽曲が続いた後に一転。このアコギのストロークからはじまるフレーズは・・・!と思った瞬間、囁く様に歌い出す桜井氏。それに続き、田原氏の歪んだギターのストロークのフレーズが続く。そして被さる鈴木氏のフィル、中川氏のエイトビートの低音。激しい展開を魅せた後は、アコギのストロークに続き、小林氏の優しげなピアノの音色が会場を包む。それからまさかの展開。ピアノのバッキングに合わせ、桜井氏が歌い出したのは、まさかの「深海」のサビのフレーズ。『連れてってくれないか 連れ戻してくれないか僕を 僕も 僕も・・・』この名アレンジは是非ともライブDVDにも収録して欲しい。(続く)「前書き」はこちらをご覧ください→ http://ks-bar.jugem.jp/?eid=398「第1話」はこちらをご覧ください→ http://ks-bar.jugem.jp/?eid=403「第2話」はこちらをご覧ください→ http://ks-bar.jugem.jp/?eid=407
ふいに思い立って部屋の片づけをしていた。嵐の夕暮れに、雨戸を締めきった部屋で。その最中、古ぼけた段ボール箱を見つけ、はて、これはなんだろうかと、ガムテープで梱包されたその箱を開けた。そこにはおびただしい数のカセットテープが綺麗に並んでいた。MDでもCDでもなく、カセットテープだ。そのすべてに、よそ行きの丁寧な文字でラベルが記されていた。「平成6年9月、バンド練習」と。それは気が遠くなるような遠い過去だ。あれから、もう10数年、いや、20年近くが過ぎた。当時、中学生だった僕は、今や、しがないサラリーマン生活に日常を費やし、たまの休みにもギターに触れることはなく、ただただ生きることに追われている。たまに、ふとした瞬間(それは決まって良い感じにアルコールに酔わされてしまった夜だ)に自分が音楽をやっていたことを思い出すくらいの、そんな大人になってしまった。正直な所、過去に触れることが怖い時もある。過去は温もりだけではないことは、30歳を目前に控えた僕はわかっているつもりだ。それでも、何かにすがるように、カセットテープを恐る恐る、古ぼけたカセットデッキに入れ、再生ボタンを押した。そこには無邪気な音が溢れていた。スピーカから流れてくる音は粗雑で、もしかしたら今の10代に聴かせれば、ただのノイズにしか聞こえないかもしれない。チューニングが狂ったギター、ピッチのはずれたヴォーカル、リズムのよれたドラムス。しかし、そんなことは意に介さない風に、爆音で演奏し続けるスタジオ音源だった。僕が生きた10代の時間は色褪せることなく、そこに記録されていた。それは言葉や写真や、はたまた記憶よりも鮮明で、哀しくなるほどの強い力があった。何の汚れもない、淀みもない、純真無垢な僕が、確かにそこにいた。カセットテープの中のヴォーカリストは14歳の頃に創った僕の曲を歌っていた。『今はすぐにセピア色に染まるだろう だから今の時を』という歌詞の後は、録音状態が悪く、聞きとれはしなかった。当時の僕は、どういう思いでそのリリックを書いたのだろうか。『だから今の時を』の後に続く言葉はなんだったのだろうか。今となっては知る術もない。ただ、こうして、僕が生きていた証が、このような形で残されていることは、何にも変え難い財産であるし、もし、僕が、突然この世を去る不幸が起きたとしても、僕の歌が記録されていることで、残された人々の悲しみは少しでも癒え、僕が昭和から平成という時代に生きた意味はあるのではないかと思うのだ。そんな思いを胸に、カセットテープを、また大切にしまった。クローゼットの奥にカセットテープの詰まった段ボール箱を置き、クローゼットの扉を閉める時に鳴った軋んだ音は、「もう少し、頑張って、この世に生きた痕跡を残しなさい」と、誰かに言われているようで、僕は、いつになく埃のかぶったギターを手にするのであった。そのチューニングのくるったギターの音は、初夏の渇いた風にほろりほろりと鳴り響き、まるで、僕の不安定な気持ちを表しているかのようで、思いがけず寂しげに笑ってしまったのであった。
2) HOWLNOT FOUNDの三連リズムから一転。もちろん、オーディエンス全員で「Hooooowl!!!!」のシャウト。桜井氏はギターを下ろし、縦横無尽にステージを駆ける。『ブラインドを開けるのも面倒な位にここのところ無気力だ』という、半ば、生きることに疲れ、諦めさえ感じた大人の気持ちを代弁するかのようなフレーズで始まる同曲は、2番Bメロで、『輝いて見えたモノはガラス玉だったとある日 気付いたとしたって宝物には変わりない 違いない』というフレーズで、一筋の光をくれる。週末、孤独を麻痺させる為に、真昼間から喉に流し込んだアルコールに、少しポジティブになり、[FREEDOM]を欲しがる、そんなリリックの主人公は、『夢見なくちゃつまんねぇ 淡々と死んでいきたくはない』と言いながら、新たなるドアを、開くかはわからないドアを叩き続ける。現状と対比させながら、多大なる希望を示した名曲だ。そんなアップテンポでポジティブな歌に、更に熱を帯びてゆく観客席。3) 名もなき詩ここでまた意外にも過去の名曲を聴かせてくれる。桜井氏はヴォーカルマイクからふっと顔を離し、観客を煽る。そして、京セラドームのオーディエンスはそれにつられ、歌う。僕も、また同じ。2番サビ前に、桜井氏が「ここの歌詞が大事!!」と言い、大合唱が始まった。『愛はきっと奪うでも与えるでもなくて気がつけばそこにあるもの街の風に吹かれて歌いながら 妙なプライドは捨ててしまえばいいそこからはじまるさ』4) I'm talking about itアルバム「SENSE」の隠れた名曲。鈴木氏のドラムが冴え渡る。そんなリズムに後押しされるかのように、桜井氏はステップを踏みながら、時に優しく、時に強く歌う。CDで聴いた印象は穏やかな曲であったが、ライブで聴いたそれは、また違った味があった。5) エソラこのイントロを聴くだけで気分が高揚する。照明もカラフルな演出で、同曲のイメージそのもの。アップテンポなナンバーが続き、会場はライブ序盤にして興奮で飽和状態。もちろんサビの最後は会場全員がシャウト!『Oh, Rock me baby tonight!!!』〜MC〜ここで最初のMC。『震災の影響で予定していた会場ではないけれど、その分、最高の音楽を届けたいと思います。皆さんが、何年かして人生を振り返る時に、「あぁ、あのライブ最高だったな」と思ってもらえるような、そんな週末に、そんな一日にして欲しいと思います。最後までよろしくお願いします。』そうした内容を桜井氏は語った。多忙な日常の中、無理をして徳島から大阪のライブ会場まで足を運んだ僕は、鬱々とした人生の希望を見出すためにライブ会場まで足を運んだ僕は、『いろいろあるだろうけれど今日は素敵な週末を過ごして欲しい。人生に於いて辛くなった時の安らぎであるようなライブにしたい。』という彼らの姿勢が、音楽ではない、「言葉」という形で聞けて、また涙を流した。(続く)「前書き」はこちらをご覧ください→http://ks-bar.jugem.jp/?eid=398「第1話」はこちらをご覧ください→http://ks-bar.jugem.jp/?eid=403